古典のラージャ・ヨーガ

古典のラージャ・ヨーガとは      

古典のヨーガ経典というと、パタンジャリのヨーガスートラが有名ですが、こちらでお伝えしているラージャ・ヨーガは、ヨーガスートラが成立する以前の、一番初期のヨーガです。インドのクシャトリア階級(高級官僚、高級軍人)が行っていた武術的なヨーガになります。文献はきちんとした物は残っておらず、わずかな痕跡から復元して現代に復活したものです。

クリシュナムルティ

子供たちとの対話よりp335336

 「今日ヨーガは流行し、金儲けの手段になっているが、それは身体を美しく健康的に保つだけのものではない。ヨーガは高いもを低いものに結びつけるという意味であり、ヨーガの王者(ラージャ・ヨーガ)はもっときびしく精神的であり、修養もなく体系もなく反復される日課もない。それは動きもなくおしゃべりもしないが、それ自体が明晰で活動的で秩序ある頭脳を持つことであり、高度に倫理的、道徳的な生を送ることそのものだ」

「あなたはヨーガを毎日繰り返し、筋肉質の身体づくりや美容のためだと考えるかもしれないが、まったくそんなものではないのです。それは一日中あなたが生きるものであり、観察し、明晰であるものなのです」


人体の動きの基本

人体の動き方の基本は、全身で動く、中心から動くことです。全身で動くとは、上半身を動かしている時でもその動きにより下半身に連動した動きが発生し、下半身の動きもまた上半身に連動して動くといったように、身体の中心から一番遠い指先まで全身がバランスを取り調和し連動して動くということです。これが人体の動きの基本になります。

自然で合理的で美しい世界

ラージャ・ヨーガは、インド式の柔軟体操でもなく、気功の技術で気を操るものでもありません。骨を中心とした普通はその存在を感覚として認識出来ない物質的身体と純粋な意識の身体を中心に修行していくものです。その時あえて気の流れは目的としないので、あまり気に注目しません。そこに意識がとらわれると、もっと大事な事に集中する集中力が取られてしまうからです。

普通の人の世界の更にその先に、激しい頑張りをして体を壊すような世界もあります。不自然で不合理の中で頑張って限界を超えると、膝や腰などの身体を痛めます。美しいというのは、合理的と自然という一見相反するものが綺麗に調和した奇跡の状態でから、当然美しいのです。そこには、本当の意味での自由があります。


達人や名人の世界

自然で合理的の中で努力すれば新しい世界の扉が開きます。人間を超えた世界の扉を開いた方達が、達人とか名人とか言われている人です。ですから、達人とか名人の人の動きは美しいのです。ラージャ・ヨーガの美しさとは、その達人とか名人が見せる動きの美しさです。

扉が開いただけでも、とりあえずどんな世界かは覗き込めます。開いた扉に一歩でも入れば、一歩分の経験は出来ます。

達人の動きは、達人の動きとして他の一流選手とは違うというのがわかります。何が違うかというと、生まれ持った筋力と生まれ持った反射神経をスポーツ科学的に、限界点まで鍛えて達成している、というのが普通の一流選手です。そういう動きも美しいですけれど、達人の美しさとは質が違います。普通の人と違う3つの動き、「ふれる、とらえる、すべらせる」達人の世界では、これが当たり前の使い方で、それを習得する技術がラージャ・ヨーガです。

指導者 竹澤みちよ

 20歳頃からヨーガに興味を持ち、20年近く続けるも進歩を実感できず、その後ラージャ・ヨーガと出会いヨーガの概念が一変、そこから心身が大きく変化していく。2014年から伊勢崎市でラージャ・ヨーガ指導を開始、初心者を中心に指導を行い、群馬周辺エリアでのラージャ・ヨーガの普及に勤めている。

 

「体が硬いのも才能です」「先ずあなたは、頑張らないこと」ラージャ・ヨーガの師と出会い、はじめにこの言葉をいただきました。その頃の私は、ヨーガを習得したいと力の世界の頑張りで努力していました。ラージャ・ヨーガの目指す「自然で合理的で美しく自由」とは全く異なる世界であったと今は理解できます。ラージャ・ヨーガとの出会いは、それまで生きてきた「頑張る私」を壊して行く訓練の始まりでした。

 

体が硬いのも個性や才能の一つです。

肩こり、腰痛、膝痛などの身体の不調は、訓練が進んでいくと自然に改善されていきます。